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丹羽クリニック院長 『有玄』 による医療ブログ
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専門医と名医の間
 よく、週刊誌に疾患毎の専門病院のランキングや名医の特集があり、医療情報に対する興味と名医への憧れを感じることがおおい。
しかし、このランキングの裏をみてみよう。。
厚生省が7,8年前から、外科手術の症例数に基準をもうけて、達しない施設の保険点数と差をつける制度をつくった。同じ手術をしても、症例の少ない施設の点数は低いということであるから、いわば、中小病院の切捨ともいえる。その基準を満たすか調べるために、、各病院からとり扱い件数の報告をさせるようにした。その件数をマスコミにリークしたものが、ランキングである。
したがって、名医というのは各施設・専門医群の代表者とでもいうべきもので、世にひろがる名医とはイメージがちがう。もちろん、治療レベルを維持するためには、とり扱う絶対数が必要なのは、もちろんであるから、例数がおおいことは悪いことではないが、逆に例数がおおければ、必ずしも良い医療がおこなわれているという保障にはならない。
医療界の端くれに、身におくものからみると、世の名医待望感と医療界の現実には「ずれ」があるようである。このずれの一端にふれてみたいと思っている。

まず、ひがみっぽいが、私の医師としてのキャリヤーから話しをすすめたい。
私は卒後、基礎教室へいき、その後に、臨床医になり、そして、一般医として、内科の開業医になった。その結果として「内視鏡」や「生検」などをしない医者になっている。そして、30年以上もの年月があっというまに過ぎてしまった。
その間に臨床医学における最大の進歩は、それまでは診断技術であった「内視鏡」「血管撮影」などが治療に応用されるようになり、「内視鏡下における手術」(cf.早期胃癌を内視鏡で視ながら、切除する)や「血管内の治療」(cf..心筋梗塞例に冠動脈の拡げる処置)が行われるようになり、かつ急速に普及し、患者さんにたいする侵襲をへらし、入院日数を少なくしてきたことである。だから、くりかえすと、週刊誌が扱っているような名医とは、これらの技術を一定数行える施設・専門医群の指導者・代表者とでもいうべきである。
だから、大事なことは、診断と適用選択の確かさを前提とした、手技の「腕のよさ」ということである。
ところで、ここ10数年感じてきたことであるが、私が以前勤務していた病院に患者さんを救急でお願いすると、気持ちよく受けてくれることが少なくなってしまった。どうやら、内科の患者を送っても、当直医の専門疾患でないと無理らしい。いわば、専門医志向の若い先生方は専門外は診るのはお嫌いらしい。専門医全盛の副産物とでもいうべきか?
話しはことなるが、3年前に厚労省が導入した「研修制」の結果が昨年から、マスコミを賑わすことがあった。明治以来、日本の医師の養成、養成後の就職には大学の医局が大きな力をもってきた。研修義務化ということは大学に残らず、医師が自由に(医局と関係無しに)就職できるものとした。しかし、結果はご存知のように、小児科、産・婦人科などの勤務実態のきつい科を体験した研修生たちが、避けるようになり、希望者が激減した。
難しいのである。
ところで、我々第一線の開業医から専門医へ、患者さんを紹介して、必要な処置がされるという一連の流れ(臨床という場)の実態をみてみたい。それはまず、自分の知覚に視とめられる異常の(認知)からはじまる。もちろん、検診で異常がみつかって、(症状なしに)この過程が始まることはある。その自覚症の認知の後に、おこることはこの異常は前にあったから大丈夫だとか、いや不安だかという反復である。
この反復過程が受診行動に結びつくこともあるが、無いこともある。
そして、主訴と他覚症に基ずいて、適切な検査がなされて、的確な診断がくだされ、必要な治療が施される。
その結果、患者さんは快癒されるか、予後がわるい場合もある。
私は内科医であるから、統合失調症や重度のうつ病などは、さっさと精神科におひきとりねがう。しかし、軽症のうつ状態、神経症、人格障害などのメンタル・ディスターバンスの方々とも付き合わざるをえない。
先ほど、受診・診断・治療という臨床という場における患者の心理過程にふれた。
実は私は「強迫・分裂型の神経症」である。このタイプでは、ものごとが私自身に強く迫られて感じられ、ところが、それに対して中途半端な「全能性=俺は何でもできるというかってな思い込み」に支えられた自己意識=自己観から、強迫感をそんなはずは無いという受容と否定の心理過程が働く人である。それゆえ、表現形は分裂する。だから、疲れる人間である。
さきほど、自覚症の認知に後の反復運動について、述べたが私の場合を考えてみると、それは認知の後の自己観との往復運動といえるかもしれない。
風邪をひいたりした場合などの、病者としての私を考えてみると、発熱などの症状が大変で、長引くかなという不安もよぎるが、以前この程度のことはあったと思うと治るのが当たり前だという(丈夫なはずな自己観にてらして)思いでいるから、解熱するなどの快癒感の実感が意識されることがない。
すなわち、疾病の認知・認識・快癒などもそれぞれ「変容」することがあるとかんがえてもよい。そういう、目で視るとメンタル・ディスターバンスの臨床経過、なかんずく主訴にはなるほどと思わせることもある。
なるほど、余計な不安が必要でない、適切に訴え、快癒への道を示せれば、「これこそ名医、いや上医」かもしれない。ま、いっこないか。
最後に医師としての、私のことを振り返ってみたい。
医学進学過程の教育は、中途半端な19世紀のドイツ風の文系の教養主義で少し、文化人ななったつもりのうえに、、人体を切り刻む解剖学や働きを説明する生理学で人間を分かったかのような知識が重なる。それを基礎に、臨床の日々を過ごしている。で、時々患者さんに役に立ったとおもう時には全能感をなでなでして、自己満足している。
こんなことは、ひけらかすと患者さんの全能感とバッティングするだけだ。

ひがみっぽい勧業医から。


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医療におけるとりあえず
医療において「とりあえず」を考える

A)診察室で

ほとんどの場合、
「変わりないですか?」
「どうしましたか?」
等という問いに、被診療者は
「手先がシビレルンですよ」
などとうったえ、
「何時から?」
等という会話から診療がはじまる。

この「言葉による不具合の表明」をヨーロッパ語から{主訴}と百年以上も前に西洋医学を導入した日本では訳してきたが、未だに社会になじんではいない。

その主訴にたいして我々はかく対処する。

#1:「どうかな? とりあえず、様子をみようか」
何もしないでも、あるいは投薬するだけでも大丈夫そうだと{思われる}場合である。

#2:「そうだな、とりあえず、念の為に 調べてみようか」
その調べなければならないと判断するときにも
{本人に納得してもらう為}
あるいは
{検査しとかないと危ない}
までと色々であるのは当然である。

この主訴という言葉からの情報を処理するだけで、ものごとは8割方おわる。
だから認知症で正確に言葉で、表せない方の診断はむずかしい。

#1の{とりあえず}は悪くいえば、
事態を引き延ばすという時間にたいする態度である。
その結末はC)として考察する。
その間に経過がよくて大丈夫だという実感やうすぎぬをはがすように苦痛が無くなっていく経過を楽しんでもらえれば診療行為は成功する。

ところで、現実に人間を目の前にした場で#1と#2を仕分けるという行為、などは
新患でキャラクターや背景が分らない場合では難しいのは当然である。
逆によく知っている方が検査をしたくない様子がみえた時など、
#2の場合どこまで、検査をしていけばよいかということは簡単ではない。

B)診察室の以前に

一年に数回、診察室に入ってきた人の顔をみただけで{手遅れ}だとと直感することがある。
話しを聞いても、数ヶ月間や年余にわたって同じ症状をくり返しているという。

#3:いわば気づいていても、受診行動にいたらない方である。
こんなことになるキャラクターの方は何処にでもいると言ったら身もふたも無い。
問題なのはそれらの人々にとっての
{とりあえず、かかってみようか}
と思わせる{医療機関の敷居の低さ}ということである。

#4:もちろん、気づかないで病気を手遅れにする方も多い。

とにかく、#3、#4の世界があることを意識していなければならない。


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Y.M.氏の死・・・・
元ロシア語会議通訳・作家のY.M.氏が5月25日に卵巣癌で亡くなった。56歳の若さだった。
その2ヶ月ほど前から「週間B」の「私の読書日記」というページに「癌治療本を我が身を以って検証」と銘うって三週にわたって、卵巣癌が再発した後に彼女が「体験」した「代替?療法」を検証していた。
あまりに悲惨で最後まで読みきれなかった。
これでは彼女も長くはないという事はすぐわかった。

それから一月もたたないうちに新聞の死亡欄で彼女の死が報じられた。

妖艶な彼女のファンであったので気持ちがのこってしまい、彼女の闘病の経過を検証しながら冥福をいのりたい。
その経過はマスコミに表出しているのでプライバシーの侵害にはなるまいし、この秋には本が出版されるというので再度詳しく論じられる機会があるかもしれないので、ここではその前段のつもりである。
また6月5日の朝日新聞夕刊に彼女が「師匠」と呼んでいたJ大学教授が死を悼む文を寄せていた。その中で彼女のことを「心の色彩陰影が幅広いひと」と評していた。

ではその「幅広いひと」の発病から「死」までに医療がどういうふうに関わったかを、考えることは医療に関わる私にも示唆を与えてくれるかもしれない。
そして、後半部にこの病気についての医学情報を付置する。


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